• 田井の目

テレビ塔は残すべきである論

2011/12/10

テレビ塔は残すべきである論

今週の木曜日、名古屋ニュービジネス協議会の講演会でゼットンの代表取締役の稲本さんが「名古屋テレビ塔のこれから~久屋大通街づくり~」というタイトルでお話しをするというので聞いてまいりました。

このゼットンさんという会社は飲食店を経営するサービス業なんですが、街角の店舗以外にも名古屋ではいくつかの公共施設内のレストランを運営しており、観光施設として有名なランの館や徳川園にも出店し、そして今回のテーマになっているテレビ塔内にもレストランを出店しています。

まさに栄の中心地にあり、夜景が楽しめるバーやレストランではデートスポットやウエディング施設として人気があるのですが、その店舗内の話でなくテレビ塔そのもののお話しでした。

私もかつて本コラム内で「テレビ塔は壊すべきである論」なんてのを書いて、存続論と廃止論の両方の意見を聞くことが大事じゃないのかな~なんて書きましたが、稲本さんの考えは「廃止か存続でなく、どうやって存続すべきか考えるべきで、なくすなんてありえない!!」というご意見でした。

よくこういう場合に、自分の飯のタネが無くなったりや経済上不利な事が予想されるので、”絶対反対”や”絶対賛成”を唱える人がいるのですが氏の考え方は違っていました。

氏のお話しによると公共施設に出店する理由として、レストランは、例えば美術館などで絵を鑑賞した後おなかがすいたのでとりあえずご飯を食べるような付帯施設ではなく、おいしい料理が提供されるレストランがあって、そこに行くついでに絵を楽しむみたいな、付帯施設を集客施設にすることを目指しているようです。

なるほど、氏が例に挙げた海外の事例以外にも国内でも世田谷美術館に併設されているル・ジャルダンとか長崎美術館のカフェなど、いわゆる付帯施設が集客施設になっているものは国内にも多くありますが、ここ名古屋にはゼットンが出店する以前はコレといったものがなかったですし、そういう意味で有言実行されていて素晴らしいとおもいます。

このようにいくつもの店舗を手掛けている氏にとってはテレビ塔はハコの一つでしかないわけであります。ではなぜ存続を主張しているのでしょうか?

それは一般的なテレビ塔の存続論者が”名古屋のシンボルだから”とか”昔の思い出があるから”と少々ノスタルジー的理由から存続を主張するのに対し、氏は「テレビ塔が本当の価値を持つのはここでデートやウエディングをしたカップルたちに子供が生まれて、その子が大きくなって親の手に引かれて遊びに来たときであり、そしてその時は文明がさらに進化してもしかしたら”テレビ”というものが世の中から無くなった何十年か先に、”むかしテレビなんていうものがあってね。。。”なんて会話がされる時にまで存続してこそ、初めて価値がでてくるものでないでしょうか?」という、過去のノスタルジーに対してというより、将来の思い出を守るために投資するという考えで、存続を主張されていたようでありました。

もしかしたら営業的にはあまり効率が良くないテレビ塔に実際に出店し、それでも存続を主張する氏のご意見はどんな評論家や有識者のご意見よりも実践しているだけに説得力があり、将来への投資として残すという発想は極めて新鮮で、場合によっては政治的な理由から存続論になるのことに懐疑的であった私の発想がなんだかとてもセコく思えてきました。

たしかに基本的には残ってほしいという希望があるはずでありますが、耐震性の向上やメンテナンスにコストがかかるという現実的な理由から廃止論が出るわけで、それをカバーできるような収益モデルが生み出せればいいですよね。しかしそれが最大の難問であります。。。

私が思いつくのはせいぜいテレビ塔ファンドを作るとか、スポンサーからお金が徴収できるようなWiFiスポットを作るとかもっとアナログに、境内地にある柱のように寄付をしたひとの名前を鉄柱に記す(ただしおしゃれに)することぐらいしか思いつきませんが、何事にも決断するにはいろいろな方の意見や考え方を素直に聞くことが大事なんだな-と新めて思い知らされたのでありました。

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